一応

この前飲み会の中でほとんど初めて話をした人に彼女がいるのか聞かれて、

「あー、一応」

と返した。
同時に強烈な違和感に襲われた。
彼女がいるという事実に対してではない。自分が用いた言葉に対してである。
(一応、ってなんだよ・・・)
彼女はいるか?という質問なら「ええ、います」でいいはずではないか。なのになぜ「一応」という副詞を添えるのか。
「一応、東大です」「一応、宿題やりました」「一応、童貞じゃないです」etc...そもそも日頃この言葉を多用されているのを耳にするが、実際の所どういう意味なのか。
一応、辞書的な意味は以下の通りだ。
 
( 副 )
〔本来は「一往」〕 十分といえないが,最低限条件は満たしているさま。とりあえず。ひとまず。ひと通り。 「 -話はうかがっておきます」 「 -準備はできた」 「 -もっともだ」
 
「あー、一応」のシーンで使われる意味というのは、おそらく「十分といえないが、最低限の条件を満たしているさま」であろう。つまり、「十分といえないが、最低限の条件を満たしている」彼女がいるということを、その時の小生は言っていることになるのである。
これは、彼女がいると返す際、「ええ、最高の彼女です!」と口にするのと対極の表現になる。ということは、「愚息」や「愚弟」などと同じような謙遜の表現ということになる。
 
しかしながら、それだけではないと小生は思う。上記がすべてであるのであれば、「一応、東大です」がいまいち説明できない。十分とは言えないが最低限の条件を満たしている東大。どんだけハングリーなんだよお前、という話になる。
おそらくこの「十分といえないが、最低限の条件を満たしている」ニュアンスは、主語である自分にも掛かっている。どういうことか。
「ぼくには彼女がいます」「東大です」ここまではいい。それに付け加えて、「そうは言いますが、ぼくなんて実際取るに足らない人間ですよ。たまたま上手く引っ掛かって彼女がいるんですor東大なんです」というニュアンスが巧妙に追加されているのだ。同時に彼女がいない、東大じゃない人たちに対して、「あなたたちはダメなわけじゃないんですよ」とフォローを入れている。
これこそが、「一応」の用法の要諦だ。
 
出る杭は打たれるのが日本社会と言われている。その為、自分を出る杭にしない為の表現は巷に溢れかえっていて、きっとこれもその一つなのである。
お約束、というやつである。結んだ覚えはないのが問題だ。