しょーもなさの肯定――向田邦子『霊長類ヒト科動物図鑑』

 

霊長類ヒト科動物図鑑 (文春文庫 (277‐5))

霊長類ヒト科動物図鑑 (文春文庫 (277‐5))

 

 

身の回りの事だったり、ふと思うことだったり、幼少期のことだったり、妄想だったり、とにかく題材はなんでも良いので敷居が低い。そういうわけで、専業の人も本業の片手間にやる芸能人も含め、とかく世にエッセイストは多い。

ただ、なんでも書いて良いということは、どのように書いても良いということではなく、限られたごく少ない字数の中で最も効果的な文章にまとめ上げる為の技や規制は、ことエッセイにおいては数多い。

星の数ほどいるエッセイストの中でも取り分け名人技とさえ呼べるほど鮮やかな手腕で数多くのエッセイを残した人物に、向田邦子がいる。

 

 

本業はドラマ脚本家であり、小説も書いた。手がけるドラマは次々とヒットを繰り返し、小説においては直木賞を受賞。その活躍の傍に軽妙な優れたエッセイを書き、その文章は多くの読者の心を惹きつけ、今もなお離さない。

 

小生も御多分にもれずにその一人であり、中学の国語で向田邦子のエッセイ『字のないはがき』を読み、そこから十年近く、その文章の印象を忘れられずにいた。作者の名前はとうに忘れているんだけど、なんかあの文章のあの感じ、もう一度読みたい。一分で読み飛ばせるような短い文章なのに、どうしてこうも忘れ難いのか。不可解なくらいだった。

 

不可解なまま、10年ぶりぐらいに向田邦子の文章に触れた。たまたまブックオフで手にとった本書『霊長類ヒト科図鑑』によって。初めは立ち読みだったが、一編読んで、レジへ向かった。いや、物凄く上手い。

導入から主題への繋ぎの妙、こちらの予測を飛び越えてクライマックスにもたらされるオチ、イメージ喚起力の塊のような文章、トピックの着眼点、タイトルも良い。圧倒的じゃないか!全てにおいて!

 

挙げるとキリがないので一つに絞って言わせてもらうと、名エッセイストたりえる条件に、「自虐のセンス」があると思う。自分を上手く戯画化してみせる能力。

文章の主導権は作者が有するに違いないが、つまるところ売文であるので、読者あってのエッセイである。従って、読者または潜在読者とのコミュニケーション、関係作りが重要な意味を持つ。つまり、読者に嫌われないようにしないといけない。愛想つかされないようにしないといけない。

そこでの1番の地雷は無論、自慢である。

いくら自分の好きな作家さんとは言え、書いてあることがただの自慢ならさすがに鼻につく。とはいえ、読者の大半は庶民であるのに対し、筆者は売れっ子作家、単に日常のことを書いただけでも読者にとってすれば雲の上の世界、図らずも自慢ととられてしまうリスクが常に付きまとう。そのリスクを回避し、読者との適切なバランスを保つ為の処方箋。それが自虐である。

しかし自虐もしつこいと自虐風自慢というものに変わってしまい、反感を助長する羽目になる。絶妙な按配が求められる自虐はそもそも難しいものの、良いエッセイストはすべからくこれが上手い。

向田邦子においても然り。いや、彼女の場合むしろその一つ上を行っている。

本書に収録されている『寸劇』というエッセイを例にあげてみる。

贈り物について語っているものである。「つまらないものですが」の常套句に始まる、形式ばって寧ろ滑稽なほど白々しい贈り物の一連の作法。その応酬は、言ってしまえば茶番のようなものだが、しょーもないと分かりつつそれを演じてしまっている自分を苦笑い交じりで揶揄しているような調子で文章は進んでいく。基本的には筆者のことを述べてはいるが、読者自身も「あーあるある」と頷かずにはいられない。射程の広いトピックなのである。

そうして一通り実例を語りつくし、「やれやれ」みたいな感じでちょろっと締めればその辺の「あるある」系エッセイと大差はないのだが、どっこい、向田邦子はここからが真骨頂である。

『子供の時分から客の多いうちで、客と主人側の虚実の応対を見ながら大きくなった。

見ていて、ほほえましくおかしいのもあり、こっけいなものもあった。

だが、いずれにも言えることは、両方とも真剣勝負だということである。虚礼といい見えすいた常套手段とわらうのは簡単だが、それなりに秘術をつくし、真剣白刃の渡り合いといところがあった。

決まり文句をいい、月並みなあいさつを繰り返しながら、それを楽しんでもいた。

お月見やお花見のように、それは日本の家庭の年中行事でありスリリングな寸劇でもあった。

そして、客も主人もみなそれぞれにかなりの名演技であった。』

 なんと、丸ごと肯定してしまうのである。

一個人の自虐から始まったはずが、いつしか読者を含めた世間一般のしょーもなさを肯定してしまっている。大乗仏教のようなエッセイなのである。

物凄い技量である。と同時に、尋常でない生活態度である。

贈り物だけでなく、世の中はしょーもないやり取りで溢れかえっていて、それを馬鹿にしながらも自分自身やらざるを得ないタイミングは多々ある。これまでも、そしてこれからも。

そんな時にこそ、このエッセイを思い出そうと思ったのである。